太平洋戦争で激戦地ラバウルに送られ、戦友たちとの死別や左腕の欠損など苛烈な体験
を経た水木先生は、戦争後の人生観が大きく変わったと思われます。 幼少期から死が
身近に感じられ、妖怪に興味を持っていた水木先生は、漫画家になって本格的に妖怪と
向き合うことにしたのです。
復員後、いくつかの職業を経て「紙芝居作家」になる。 TVの普及で紙芝居が廃れる
と「貸本作家」に転じ、1960年に「墓場の鬼太郎(後のゲゲゲの鬼太郎)」を発表。
39歳で結婚するも生活は困窮を極め、漫画家として日の目を見るのは結婚5年目の事。
このあたりの描写は、水木先生の奥さん著「ゲゲゲの女房」に載っています。
「第4章水木しげるが描いた妖怪たち」のコーナーでは、薄暗い洞窟に潜む50体もの
妖怪像を見る事ができます。 妖怪達とは古来より人の世とは異なる超自然的な存在で
すが、人の世に現れ、人の目で知覚された時の外観は、人型のもの、動物に似たもの、
道具が変じたもの また、異形、キメラ、人体の一部など様々なものがあります。
ゲゲゲの鬼太郎第四期に登場する「一刻堂(声優:京極夏彦)」の言葉によれば、
「妖怪はこの世に存在しないもの・この世に居てはならぬもの」
「妖怪はこの世に居てはならぬものだが、同時に居なくてはならぬもの」
一刻堂の言葉に動揺する鬼太郎に対し、目玉おやじの言葉が
「なあに、気にするな鬼太郎。 ないと思えばなにもない。あると思えばすべてある。
わしらを知っている人がいる限り、わしらはこうして居るし、こうしてわしらがいる
限り、これが現実じゃよ....」 ふむ、妖怪を語る人がいる限り、妖怪は不滅。