太刀洗平和記念館には 震電の実物大模型の他に、零戦と九七式戦闘機の2機が展示
されています。 零式艦上戦闘機は堀越二郎他が設計し、三菱重工業で開発され、
その生産数は1万機以上と言われています。ただ国内で現存し、展示されている機体は
8機のみです。映画「風立ちぬ」の中で主人公は「一機も帰ってきませんでした」と
夢の世界でカプローニ(悪魔? メフィストフェレス?)に語っています。
零戦は3000kmの長大な航続距離と、格闘戦を重視した優れた運動性能から大戦初期
には世界の戦闘機の頂点に立ちましたが、米軍に鹵獲、分析されてからは対零戦戦法が
確立され、米国の重武装、高い防弾性能を持った新鋭機に押されるようになりました。
こちらに展示されているのは 世界で唯一現存している「三二型零式艦上戦闘機」です
その特徴は角ばった主翼端であり、空戦性能の大幅な向上を図って各種装備を強化しま
したが、反面 燃費の悪化と燃料タンク容量の減少を招き、航続距離が大幅に悪化する
ことになりました。故に三二型の生産は僅か半年、生産数もわずか340機のみです。
大戦末期には特攻機として改造され、多くの若い命が零戦と空に消える事になりました
昭和16年真珠湾攻撃に参加した零戦は、昭和17年のミッドウエイ海戦、ガダルカナル島
攻防戦に参加し、昭和19年には神風特別攻撃隊が初出撃してゆき、悲劇が続きます。
旧陸軍が東洋一を誇った大刀洗飛行場ですが、やがてこの飛行場は特攻隊の中継基地と
して、数多くの若き特攻隊員の出撃を見送った場所になりました。
多くの尊い犠牲の上に現在の平和と繁栄があることに、深く感謝たします。
展示されている8機の零戦ですが、中国地区では呉市の大和ミュージアム、九州地区は
ここと、鹿屋航空基地資料館、知覧特攻平和館の3か所で見る事ができます。
後世に零戦の姿と歴史、戦争の悲惨さをこれからも伝えてほしいと願います。
大刀洗平和記念館に展示されている「九七式戦闘機」は、平成8年に博多湾埋立工事の
現場で発見されたものです。現存・展示されているのは 世界でこの乙型1機のみです
九七式は中島飛行機が開発した戦闘機で、昭和11年に初飛行に成功しています。
日中戦争やノモンハン事件、太平洋戦争初期には活躍しましたが、やがて旧式化し、
一部の機体は特別攻撃隊に駆り出されることになりました。
大刀洗にはかつて東洋一と呼ばれた「大刀洗飛行場」があり、国内最大の陸軍航空隊の
拠点でした。 故に米軍の爆撃目標となり、昭和20年の空襲では 飛行場とその周辺の
施設群は壊滅的被害を受け、小学生を含めた多くの人々の命が失われました。
この事は「追憶の部屋」「シアター映像 大刀洗1945.3.27」で学ぶ事ができます。
是非一度 兵士たちが愛する家族へ残した手紙や遺書や 大刀洗の方言で語られた
映像を通して、忘れてはならない戦争の悲劇を語り継いでいってほしいと切に願います